10月2日 豆腐の日

10月2日は豆腐の日。
とお月ふた日ということで語呂合わせから制定されました。

中国発祥の豆腐、アジア各地に広がる

豆腐の詳細な起源については諸説あるのですが、中国発祥だというのは間違いありません。
中国本土を中心にして日本、朝鮮、台湾、ベトナム、カンボジア、そして東南アジア各地に伝播していき、庶民の食事として定着していきました。
豆腐が考案された年代に関しては説の間で非常に開きが大きく、判然としません。
16世紀に著された李時珍の『本草綱目』、そして12世紀の朱熹(朱子学の開祖)の著作によれば、紀元前2世紀の前漢時代、淮南王劉安によって作られたとされています。
朱子学というビッグネームの広まりと共にまことしやかに語られ、本草綱目という名著がそれを引いたことでさらに真実味を増したこの説、歴史学的にはなんとも言えないところのようです。
大豆の栽培は紀元前2000年にはすでに普及していたので、考古学的には無理のある話ではないのですが、やや伝説めいています。
その他には8世紀の唐の時代に生まれたという説もあるようですが、議論に決着はついていません。

本草綱目 画像引用:Wikipedia

日本に伝来する豆腐

このように、考案年代が定かではない豆腐ですが、遣唐使によって日本に伝来し、少なくとも14世紀になるかならないかくらいの鎌倉時代には庶民にも伝わり、江戸時代にはありふれた食材として定着します。
しかも、庶民生活を支える重要品目だとみなされていた豆腐は物価統制のたいしょうであり、その売値は厳しく管理されていました。
つまり豆腐屋さんは自分で勝手に売値を下げたり上げたりできなったわけです。
江戸時代の豆腐は木綿豆腐が一般的でした。
特に江戸の街で豆腐料理の文化は花開き、人気だったのは「豆腐の田楽」
串焼きにした豆腐に赤みそをつけて食べるのです。
せっかちな江戸っ子が買い食いするのにちょうどよく、食いでもありそうなので人気が出たのも納得ですね。

豆腐の田楽

日本の豆腐は独自進化をとげた変わりモン

さて、海を渡り日本の庶民にも愛された豆腐。
普通われわれが想像する豆腐といえば白くてやわらかくて、淡泊な味のものでしょう。
しかしこれは日本で独自進化をとげた賜物でした。
中国をはじめとした大陸の豆腐は日本のものより固いものが一般的です。
生で食べることは少なく、もっぱら油で揚げるため、水分は少な目な方が都合が良いからなんだとか。
特にミャンマーのものは大豆でなくヒヨコ豆やエンドウ豆を使い、ねっとりとした舌触りのものらしく、日本のものとは大違いですね。

ミャンマーの豆腐 画像引用:TRIPPING!

日本は水資源が豊かであり、また軟水にも恵まれています。
軟水で作った豆腐は作る過程でやわらかくなり、またその味覚が日本人の好みにもマッチしたため、独自進化をとげて今の形に落ち着きました。
そのような経緯を知ると、いつものお豆腐がなんだか特別に思えてきますよね。

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