10月4日は日本刀の日。
トう月シ日が刀匠(トうシょう)に通じる事から制定されました。
現代における日本刀
日本刀といえばいわずもがな武士の魂であり、今を生きる私たちにも一種の畏敬の念を覚えさせます。
なんとなく、「なんかかっこいいもの」「なんかすごそうなもの」という印象は誰しも持っていると思います。
もしかすると「怖い」という気持ちを抱く人もいるかも知れませんね。
明治時代の1876年に廃刀令が出されてからもうすぐ150年、人を斬る道具ではなくなってしまいましたが、現代でもきちんと息づいている道具です。
武道をする人間にとっては大切な稽古道具・武道具として現役の道具ですし、美術品としての値打ちも依然として高いです。
刀の見どころ:形
しかし、美術品といわれてもピンとこない人もいるかもしれません。
鍔や柄などは確かに細工が施されてキレイかも知れないけれど、刀身自体はよく分からないということもあるのではないでしょうか。
そして博物館では確かに刀身だけで展示されている刀もあります。
そのような時にまず見て欲しいのが、その刀の「形」です。
その刀は長さは、長いでしょうか、短いでしょうか。
日本刀独特の反りは、大きいですか、小さいですか。
「長いとか小さいとか、そんなの分かるか!」
と言いたくなるかもしれませんが、ぐっと我慢して自分なりにどう感じたか考えてみてほしいです。
刀は平安時代より前の時代から、江戸時代まで現役で武器として使われた道具でした。
それだけの長い期間を経て、形は微妙に微妙に変化を遂げてきています。
斬ることに重きをおけば反りの強い刀に(例外はあります)、突くことに重きをおけば反りの小さい刀に(例外はry)、なる傾向があるのです。
刀をどのような使い方をするかは、その時代によって異なります。
使い方が違えば形も違ってきます。
そのような歴史ロマンにも思い馳せつつ、「この刀の形を美しいと思うかどうか」をまず最初に感じてもらいたいです。
刀の見どころ:「地肌」と「刃文」
次に見て欲しいところが「地肌」と「刃文」です。
どちらも刀の専門用語ですが、要するに「刀の表面」のことです。
刀の表面は包丁やナイフのように、つるんとはしていません。
幾重にも筋が入ったような、あるいは木目のような、板目のような、そんな模様がよく見ると入っています。
このような模様ができるのは刀の作り方に理由があります。
伝統的な日本刀のは砂鉄を集めて溶かし固めた「玉鋼」を、叩いて延ばして折りたたんで、また叩いて延ばして折りたたんでというのを何度も繰り返して作ります。
そうしてできた鉄の塊を刀の形に整形して、研いで磨いて、日本刀が出来上がりるのです。
何度も折り返すため、刀の断面はミルフィーユ状の層を形成していて、それを磨くことによって表面に模様として現れてくる、というわけです。
さらに玉鋼は成分が均一でなくむらがあるため、引き延ばす段階でそのむらもまた独特の模様を作り出します。
そして刀の形を作り終わった後に刃物としての命を吹き込むときに「焼き入れ」という工程をするのですが、その時のやり方、塩梅によって刃の模様である「刃文」も生まれます。
刃文はとくに目立ち、刀工による特徴が如実に出るため、見どころとしては特に分かりやすいかもしれません。
折り返して鍛えることで生まれる「地肌」、焼き入れで生まれる「刃文」、そして玉鋼のむらがひろがって刃文の境目や、刀身全体に現れる光の粒子。
この粒子は砂をサッと流したような、星が流れるような、そんな美しいきらめきを生み出すのです。
これらが混然一体となって刀身の表面で踊るマリアージュ、それが刀身の美しさと言ってもいいでしょう。
刀の総合的な美しさ
このようにして生まれる美しさをもった刀身。
これに鍔や柄、鞘がついて、道具としての刀は完成します。
鍔や柄も極めて美術性と趣味性が高いのですが、ここではとても語り切れません。
なんせ侍たちが己の見栄とプライドをかけてそのデザイン性を競い合ったのですから並大抵のものではないのです。
鍔、柄、鞘を総合して拵え(こしらえ)と言いますが、刀身と拵えがあって一つの日本刀です。
そこにある刀が一つの道具としてどのようにまとまっているか、美しいと思えるか、私はそのような目で鑑賞しています。
(それと、私は武道を稽古している人間なので、使いやすそうかな、みたいなことも考えたりします)
刀は全て職人の手作りです。
形も地肌も刃文も、似せることはできても完全に同じものを作るのは不可能です。
それゆえに世に二つと同じ刀はなく、それぞれが唯一無二の個性を持っています。
もし今後博物館で刀を見ることがあった時には、ぜひ近くでじっくりと見てその個性を感じてみて下さい。