9月19日は苗字の日。
旧暦、明治3年のこの日(新暦だと10月13日)、太政官布告「平民苗字許容令」が出されたことにちなんで制定されました。
それまで苗字は特権的身分の人間にだけ名乗りが許された特別なものでした。
苗字の歴史は古く、平安時代の戸籍にその原型が見て取れました。
農民たちも、自らを支配する一族の氏をさながら苗字のように名乗っていたといいます。
しかし、武士が支配階級として台頭してから久しい室町時代以降になると、農民の独立を恐れた武家は彼らから苗字や武器を取り上げるのでした。
戦国時代になると半農半士のような曖昧な存在になりつつも、農民はあくまで食糧生産のための労働力として専業するように奨励されるわけです。
江戸時代ともなると社会制度の整備も進み、苗字は基本的には貴族や武士のみに許され、例外的に庶民が名乗るのでも豪農や豪商などの一部の人間に限られました。
あくまで身内同士の通称として苗字のようなものを使うことはあったみたいですが、公式に名乗る事は幕府から禁止をされていたも同然です。
そんな状況の中、政権が江戸幕府から明治新政府に移ると少し事情が変わってきました。
明治新政府は日本の近代化を推し進めるため、一市民の苗字の名乗りが必要と考えます。
四民平等をスローガンとして掲げてきた政府としては、これまで特権として認められてきたものを市民に等しく解放することは、ある種で国是のようなものでもあります。
古い封建制の不合理と圧政からの解放の象徴となりえるでしょう。
それと同時に、治安維持、徴税、徴兵、学校制度を整えるにあたり、正確な戸籍制度を作る必要にも迫られています。
そのどれもが、強くて近代的な中央集権国家を築くために必要なことでした。
一市民に苗字を許すことはそのような思惑もあったわけです。
ただしかし、苗字を名乗るにあたり市民側の混乱があり、あまり順調にはいきませんでした。
長い時間をかけて苗字という習慣から意図的に縁遠いものにされていた市民たちですから、突然名乗って良し!と言われて戸惑うのも無理もない話です。
「そんな大層なもの許されるからには税が上がるに違いねーべ」
「苗字だなんて名乗ったらどんなお咎めがあっか分かんねーけろ」
といった具合でなかなか一般に苗字を名乗る制度は普及しません。
そもそも苗字が何なのかすらよく分かっていないというケースもあったかも知れませんね。
結局、平民苗字許容令は思ったほど効果を上げることはなく、政府の思惑が成就するのはこの5年後の「平民苗字必称令」の布告を待つことになるのでした。