9月26日はフランシス・ドレークが世界一周を達成した日。
1580年のこの日、マゼランに続く、史上二度目の世界一周を成し遂げました。
異色の船乗りドレーク、スペインへの怒りを募らせる
フランシス・ドレークはイングランド人の船乗りです。
南イングランドのタビストックにてプロテスタントの農民の子として生まれました。
近所に住む老船長の手ほどきで10歳にして既に航海に従事していました。(少年漫画の設定みたいだ……)
25歳頃、いとこの下で奴隷貿易従事者として働いていました。
すでに自分の船も手に入れ船長となり、船団を構成する一員です。
しかし折しも、スペイン海軍の襲撃を受けて船団は壊滅してしまいます。
辛くもイギリスに生還するドレークでしたが、この時かなり強い敵愾心と復讐心をスペインに抱いたようです。
二年後には船乗りとして復帰。
それも海賊として。
かつての恨みを晴らすように、西インド諸島でスペイン船を襲撃して財宝を奪い取り、荒稼ぎを始めるのでした。
世界一周の旅へ
そして34歳の頃、「新航路の発見の為」ということで世界一周を計画します。
航海というものはとかくお金のかかるもので、一般的には出資者を募ってそのお金をやりくりする一つの「事業」でした。
実際、現代の株式会社はこのような航海事業にルーツを持っています。
ドレークはありがたいことに時のイングランドの女王、エリザベス1世からの出資を取り付けることに成功しました。
この女王の決断に対してドレークは自分自身と女王に必ずや大きな利益をもたらし、かつ、スペインに最大限の損害を与えてやると約束します。
スペインへの憎しみがあふれ出ていますね……
しかも、出航前にも「スペイン王にこれまでイングランドが受けた傷の代償を必ずや払わせてきます!」と念を押す始末。
新航路の発見なんて建前に過ぎず、本音は「スペインをボコしたい」なのではないかと疑いたくなります。
さてそうしてスタートした旅路はイギリスのプリマスを出発地点として、大西洋を渡り、南米東岸から西岸へ、北米の西岸に渡った後は太平洋に飛び出し、インド洋を経て喜望峰を回り、再びプリマスに戻ってきました。
航海に費やした期間はおよそ3年間。
ドレークは約束通り、途中スペイン船を何度となく襲撃、時には王家の財宝を根こそぎ奪ったことすらありました。
道々でスペインの植民地をボコすことも忘れませんでした。
そうしてかき集めた、金銀財宝、香辛料の積み荷の売却益は実に投資額の47倍にも上ったのだとか。
つまりドレークの航海に投資した人は元本の額面が47倍になって配当として分配されたわけで、巨万の富となります。
奴隷貿易商、海賊から海軍士官へ
ドレークがもたらした利益はイギリス王室だけで30万ポンドに上り、これは当時の歳入20万ポンドを優に超える額でした。
この利益で王室は借金を全て返済することができた上に、注力していたレヴァント会社(東インド会社の前身的組織)を育てる資源にも転用できました。
大変な功績を残したドレークはイギリス海軍の中将に任命され、また騎士としても叙勲され、海軍提督としての道を歩むことになります。
後に太陽の沈まぬ国とさえ呼ばれたスペインの栄光を叩き落とすことになるのですが、それはまた別のお話。