9月28日はパソコン記念日。
1979年のこの日、日本電気(現NEC)より傑作機PC-8001が発売されたことにちなんで制定されました。
コンピュータがアマチュアに解放された
1970年代、今でいうところのパソコンはマイコンと呼ばれていました。
’60年代頃までの旧来のコンピュータは非常に大型で、トランジスタやゲートICなどを組み付けて作られたもので、組み立てにも運用にも、極めて専門的な知識が不可欠でした。
当然、かなり高価でもあり、何かしらの目的を持った機関や施設、専門家でないと到底扱えない代物です。
しかし、’70年代に入るくらいまでには技術の進歩が進み、小型化、汎用化によってコンピュータはアマチュアでも手に入りやすくなります。
依然として高価は高価でありましたが、アマチュア無線や電気工作のオタク、理系学生などの一般人でも頑張って買えないことはないといったところ。
大型コンピュータに対してとても小型だったため、マイクロコンピュータ、縮めてマイコンと呼称されるようになりました。
マイコンには何ができたのか
ただ、いくら以前よりはいくらかマシになったといえど、それでもコンピュータを扱うのには専門知識と、はんだ付けを始めとした電気工作の技術、そしてなにより根気が必要でした。
マイコンの登場後も需要はあまり大きいものではありません。
そんな状況の中で日本電気はTK-80というマイコンのキットを発売します。
あくまでマイコン開発を業務に行う技術者、研究者のトレーニングキットとしての販売でしたが、基本的な情報の入力と出力がこのキット単体で行えるのが大変ウケました。
つまり、キーボードで入力して、画面に数字が表示できるという、今では当たり前すぎる機能なのですが、当時としては可能性の塊でした。
日本電気の当初の想定を超えて反響を呼び、研究熱心なアマチュアたちによって使用用途が開拓されていきます。
医療用の計算機や、あるいは小売店の帳票整理など、民間で様々な利活用法が妄想され、需要の創造に図らずも成功するのです。
個人用コンピュータの時代、到来
このTK-80のヒットを見た日本電気は個人用コンピュータの需要を確信します。
折しも先んじて日立からベーシックマスター、シャープからMZ80Kといった個人用コンピュータは世に出ていました。
しかし、性能が低くソフトも少ない状況だったり、そもそも教育用を念頭としたものだったりして、ニーズを満たすものとは言い難い感じです。
日本電気は多少の性能面での妥協を許してでも、事務用途などの個人使用に狙いを定めた設計のコンピュータを世に出そうとしました。
そうして生まれたのがPC-8001でした。
PC-8001はキーボードに内蔵されたコンピュータで、専用ディスプレイの他、テレビに出力ができました。
カセットテープを媒体として、家計簿ソフトや電卓、なんとゲームまでが遊べるのです。
加えてマイコン1台20万円越えが一般的だった当時、販売価格は168,000という破格の定価で販売します。
これがうまくユーザーの需要に刺さり、PC-8001はコンピュータブームの火付け役となったのでした。
なお、商品名に含まれるPCとはもちろんパーソナルコンピュータのこと。
PC-8001のヒットによって「マイコン」の概念は「パソコン」へと塗り替えられていくのです。