11月22日はエドワード・ティーチがこの世を去った日。
1718年のこの日、黒髭の異名で恐れられた大海賊が海の藻屑となりました。
エドワード・ティーチとは何者か
エドワード・ティーチはイングランド生まれの海賊です。
カリブ海、北アメリカ東岸を拠点に荒らしまわりました。
海賊船「アン女王の復讐号」を駆って略奪の限りを尽くします。
武闘派で悪名は轟き「黒髭」の異名で恐れられるのです。
海賊の楽園 ニュープロビデンス島
17、18世紀の西インド諸島(カリブ海)は植民地支配とグローバル化の急進を背景にして船の往来が盛んな地域でした。
そのため、海賊たちも当然ここに目を付けます。
特に初頭の一つであるニュープロビデンス島は無政府状態であり、かったるい監視や規制の手が及びません。
海賊の楽園とも呼べるこの島に、多くの海賊たちが憩いました。
船を襲いやすいうえ、正規の海軍の大型船が入り込めない浅瀬にあるこの島を拠点にする海賊は多かったようです。
ティーチの前半生はほとんどが不明ですが、恐らく私掠船(政府などから条件付きで略奪行為を認められている船)の船員だったのではないかと思われます。
30歳頃にジャマイカからニュープロビデンス島に来た流れ物です。
ここで名の通った海賊ベンジャミン・ホーニゴールドの手下となり活躍。
船団の内の一隻の船長も任されて海賊としての経験を積みます。
そして間もなく引退したホーニゴールドの船団を引き継ぐのでした。
大海賊・黒髭誕生
船団を率いるようになったティーチはフランス、スペイン、オランダなど各国の船を襲って荒稼ぎしました。
ある時、フランス籍の大型奴隷船ラ・コンコルド号を襲撃して拿捕します。
そして海賊船として必要な改造を施し、「アン女王の復讐号」と名づけ旗艦(船団の指揮官が乗る船)とするのでした。
アン女王の復讐号は40門の大砲を持つ大型艦となり、これまで小型船のみだったティーチの船団にとって心強い戦力となります。
新たな旗艦を得てさらに海域を荒らし回り、ティーチはいつしか名の知れた海賊となっていきました。
ホーニゴールドとの出会いからまだ1年ほど、ですが手下150人、大砲50問以上、船団3隻を率いる海賊へと成長を遂げたのです。
背が高く引き締まった身体に、豊かな黒髭を蓄えた出で立ち。
髭は編み込んだ上に色とりどりのリボンを結び、身体には6丁の拳銃をぶら下げています。
威厳のある服装を好み、奇妙なファッションで見た目から相手を威圧することを重視していました。
そのためティーチは「黒髭」とあだ名され、大変恐れられるのでした。
勢力拡大と半引退
こうしていよいよ大勢力となったティーチはさらに海賊行為を拡大して、ますます荒稼ぎしました。
海賊となってからわずか2年、自らに提督の地位を与えて権勢はピークに達します。
その実力は、サウスカロライナの植民地政府(イギリス人のアメリカ大陸の植民地)相手に恫喝できるほどでした。
実際にサウスカロライナのチャールズタウンという港湾都市を封鎖するという実力行使を行い、こけおどしではないことも証明済みです。
しかし、
①イギリスによる本格的な海賊取り締まりが始まりそうなこと
②いまなら英国王室からの恩赦がもらえそうなこと
③イギリスを始めとした欧州各国がスペイン相手に戦争を始めそうなこと
④戦争が始まれば私掠船の免状をもらえて大手を振って海賊ができること
以上のことなどを見越して一時海賊行為を控えます。
アン女王の復讐号を故意に座礁させて破却するなど、周到な準備をした上でノースカロライナの総督に降伏して、狙い通り恩赦を勝ち取ります。
恩赦を受けてからはノースカロライナのバスという土地に定住し、半分引退したような雰囲気を醸し出しました。
しかしバスの近くの岬に乗船のアドベンチャー号を停泊させていましたし、船を動かせるだけの手下も持ったままでした。
そう、ちゃっかり海賊行為は続けていたのです。
最後の戦い
その頃、ノースカロライナの北に接するバージニア植民地の総督アレクサンダー・スポッツウッドは本格的なティーチ逮捕を企画していました。
海賊を撲滅してバージニアの商業を安定させたいのと、ティーチを捕らえて莫大な利益の獲得を狙ったためです。
ティーチには懸賞金もかけられていましたし、略奪で設けた財産をかなりため込んでいるのは明白でした。
スポッツウッドの捜査の手はティーチの元部下にまで及び、権力を恣意的に濫用してまで執念の追跡を行いました。
その結果、黒髭がノースカロライナのバスにいる事を突き止めます。
スポッツウッドはイギリス海軍士官のロバート・メイナード大尉に2隻の船の指揮権を与えるとバスに向かわせるのです。
そして来たる1718年11月22日、夜明けと共にメイナードはティーチの乗船が停泊してある入り江に攻撃を仕掛けました。
ティーチと手下たちはすぐさまアドベンチャー号を抜錨して出航、迎撃態勢に入ります。
アドベンチャー号はメイナードが指揮する2隻の船に猛烈な砲撃をしかけて大打撃を与えます。
敵船の舷をえぐり、爆発で多数の死傷者を出しました。
出鼻はくじきましたが、同時にアドベンチャー号も攻撃を食らって制御を失います。
そこでティーチ一味は鉤縄を使ってメイナードの船に寄せて攻め込み、船上で白兵戦を展開しました。
血みどろの甲板の上で始まった戦闘、いったんは海賊側が押したものの、徐々に劣勢となって船首側に追い込まれます。
ティーチは敵兵の斬撃が当たり重傷をおい、すかさず複数人に切りかかられ敗死。
激戦の末、戦いは討伐隊の勝利で終わったのでした。
その後、ティーチの死体の身体は海に沈められ、首はメイナードの船のマストにぶら下げられて晒されました。
ティーチに欠けられた懸賞金は400ポンド、大量に蓄えていた略奪品の売値は2338ポンドにもなったとされます。